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Bookpostオンライン読書ログ

2019年04月

クリントン・ロメシャ「レッド・プラトーン 14時間の死闘」(早川書房, 2017) 166bfcb | 6日前

アフガニスタン戦争の「キーティングの戦い」を記録した回想録。著者は米陸軍の二等軍曹で、キーティング前哨の守備隊の一員だった。著者によると、そもそもキーティング前哨は根本的に設計が悪く、近くの基地から離れすぎている上に、地形的にも周囲を高地に囲まれた窪地にあったそうな。かつ近々撤退の計画があったので整備もおざなりだった(整備不足が祟って、クレイモア地雷が肝心な時に起動しなかったりしている)。この前哨に対して、潤沢な装備を備えた数百名規模のタリバン部隊が強襲をしかけてきた...というのがキーティングの戦いの筋立てとなる。

戦闘に参加したタリバン兵は相当練度が高かったらしく、最新の防衛設備を備えているはずの米軍が後半までは一方的に攻勢を受けている。ただ、結末だけ見ると、タリバンは300-600名の戦士を動員して、うち100-150人が死亡した一方で、米軍の守備隊はわずか50名で、うち8人が死んだに過ぎない(他にアフガン兵が48名居たが、実質的に戦力になってない。持ち場を捨てて逃げ回っているばかりで「お前たちの故国を守れ」と一喝されている)。要するに、いかに地形的に有利であっても、航空支援のある、要塞化された拠点を制圧するのは非常に難しいのだろう。

あと、本書で紹介されている、この本は読んでみたい >「1958年にJ・グレン・グレイという兵士が、戦闘状況の兵士について『戦場の哲学者--戦争ではなぜ平気が人が殺せるのか』という本を書いている」

メグ・ローゾフ「ジャストインケース」(理論社, 2009) b0aa1761 | 11日前

2006年のカーネギー賞受賞作でとても高く評価されているみたいなんだけど、まったく俺には合わなかった。ティーンエイジャー版の「スキャナーダークリー」といった趣きの話。ただ、この作品の主人公はドラッグをやってないのに自己崩壊してしまう。

2019年03月

マーク・オーウェン, ケヴィン・マウラー「アメリカ最強の特殊戦闘部隊 (DEVGRU) が「国家の敵」を倒すまで」(講談社, 2014) 166bfcb | 21日前

2011年のビンラディン暗殺作戦に参加した特殊部隊員の手記。この作戦の実行を担当したのが海軍特殊部隊のDEVGRU(SEAL6の後身)で、著者は作戦当時ここに所属していた。

* まず読んでいて気がつくのは、現代の軍隊では完全に「作戦を実行する前線部隊」と「作戦を立てる司令部」が全く別の組織になっているということだ。前線部隊の一員の著者から見える光景は「あちこちに派遣されては特定のミッションをクリアして帰還する」という割と脈絡のないエピソードの連続になる。「この作戦は戦略全体から見るとこういう位置づけにある」という見通しのよさは殆ど無くて、この本でも「自分たちは道具だ」という表現が見られる。

* 個人的に面白かったのは著者が時々こぼす素朴な感想だった。例えば、作戦完了後の祝賀会で出会ったジョーバイデンの印象: 「話のあと、彼らと何枚か写真を撮った。バイデンが、だれもオチがわからないような冗談らしきものを連発していた。いい人そうだが、クリスマスの夕食時に酔っぱらった、どこかのオジサンみたいだ」 (p291)

* ビン・ラディンについて。「部屋から出るさいに、ドアの上に渡した棚に気づいた。おれたちが3階にたどり着いたとき、ビンラディンが立っていた場所の真上だ。おれは手で棚の上を探り、2挺の銃を見つけた。AK-47とホルスターに入ったマカロフの拳銃だ。2挺とも降ろして、弾倉を抜いたが、どちらも空だった。奴は自分の身を守ろうとさえしていなかった。何十年も前から、自分の信奉者には『自爆チョッキを着ろ』といったり、『飛行機でビルに突っ込め』などと命じたりしてきたというのに、自分は武器さえ取らなかったのだ。ほかの派遣でも、よくこういう場面に出くわした。"食物連鎖"の上にいるターゲットにかぎって、実態は女々しいものだ。総じて指導者の戦う意思は希薄だ。爆薬を体に巻きつけて自爆するのは、決まって影響を受けやすい若者なのだ。ヘリの音は聞こえていたはずだから、ビンラディンは俺たちが来ることを知っていたろう。離れ家にいたアフメド・アル・クウェイティは自分と家族を守ろうとしただけマシだ。ビンラディンには手下たちより準備する時間があった。だが、奴は何もしなかった。自分のお告げを信じていたのか?自分があおってきた戦いに自分の身を投じる気があったのか?自分では戦いもしないのに、『死んでくれ』といって人を送り出すのは信義にもとる」(p250)

* 名案病について。「おれたちは"名案病患者"とも戦わなければならなかった。どんな作戦でも上の連中が時間を持て余すようになると、そんな患者が増えてくる。非現実的なシナリオを無理やり想定するようになるのだ。」「作戦計画立案者が細かいことに目を向けると、そんなことになるわけだ。CIAも携帯電話の電波を遮断する30キロ弱の箱型機械を持っていくように要請してきた。それでなくても、重量が問題になっていたから、その"名案"はすぐに却下された。これまでの"闘病"の時間をすべて返してもらえたら、寿命が数年延びるかもしれない」(p192)

ジョー・ウォルトン「英雄たちの朝」(東京創元社, 2010) 166bfcb | 21日前

第二次世界大戦後を舞台とした歴史改変小説。この作品では、西部戦線でナチスとイギリスが講和条約を結んだということになっている。これを主導したのが貴族院議員を核とする政治派閥<ファージングセット>で、チャーチルをはじめとする好戦派は政治的に敗北したことになっている。この作品の比較の対象として、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」を挙げている人をよく見るのだけど、個人的には舞台設定の点でも人物造型の点でも、カズオ・イシグロの「日の名残り」の方が近いと思う。イシグロの作品も、第二次世界大戦でナチス融和主義の側に立った貴族の居城を舞台とする話だった。

ただ今回の「英雄たちの朝」は、日の名残りよりもはるかに格が落ちる。俺が読んだ感想では、ちょっと前に読んだサリー・ガードナーの「マザーランドの月」と比べても遠く及ばないと思う。物語の主軸となる殺人事件の顛末にまったく現実味がないという問題は百歩譲ったとしても、その他の舞台造型、とくにナチスの扱いと同性愛の扱いが余りにも無邪気過ぎるよ。「日の名残り」のダーリントン卿は確かにナチ親派だったが、そこには人間的な苦悩があった。でも、今回の作品にはそういった類の深みがまったくない。このあたりの作りの雑さは本当に残念だった。

浜内千波「フタさえあれば!すごくおいしい」(日本文芸社, 2010) 166bfcb | 24日前

普通のフライパンにフタを組み合わせると、簡単に蒸し料理や煮込み料理が作れるよという本。冒頭の「フタを駆使した調理方が一番よいものである、と私は確信しています」という力強い宣言にひかれて手に取った。実際に読んでみると、確かに調理法としてよく練られていてとても参考になった。こんな感じの料理が掲載されている:

・ジャガイモとトマトの蒸し煮 ... フライパンにみじん切りにした玉ねぎと輪切りにしたジャガイモとトマトを入れる。上からオリーブ油をかけて、フタを閉じて中火で20分加熱する。火が通ったことを確認して、粉チーズをふりかければ完成。

・白菜と豚挽き肉のトロトロ煮 ... フライパンに豚挽き肉を入れて、その上に千切りにした白菜としょうがを載せる。上から塩をふってから、蓋を閉めて中火で加熱する。途中で2〜3回混ぜながら20分ほど加熱すれば完成。

あと面白かったのは「最初にフライパンで肉に焼き目を付けておいて、それから野菜を肉の下に敷いて全体をフタで蒸し焼きにする」というテクニック。とくに説明はないけど、多分こうすると肉の旨味を野菜にうつしながら全体に満遍なく火を通せるんだと思う。

フランク・ハーバート「デューン砂の惑星」(早川書房, 2016) 166bfcb | 25日前

この小説の一つのキーワードは「陰謀」だと思う。この小説の中では、誰もが周囲の人間に対して謀略を抱いている。それも、他人を蹴落とすための謀略を。その仕事、つまり自分の邪魔になるような人間を先んじて殺すことに登場人物たちは生涯を捧げている。その悪夢は、他人の悪意を見過ごして、暗殺者の手にかかって死ぬことだ。膨れ上がった富と身分でむしろ不安はかきたてられて、疑心暗鬼に苛まれている。どうしてそこまで家柄や爵位が重要なのだろう。毒物検知器の助けを借りないと水の一杯も飲めないというのに。

キティ・ファーガソン「ピュタゴラスの音楽」(白水社, 2011) 166bfcb | 31日前

古代ギリシャの哲学者のピュタゴラスを扱った本。彼は数学を崇拝する秘密教団を築き上げて、一時はイタリアの植民都市クロトンを支配したのだけど、最終的に反感を持つ市民たちの暴動で殺されたらしい。彼の直接の教えは時代の流れで失われてしまったのだけど(これは秘密教団という組織の性質が大きい)、その教団の哲学はプラトンを通じて、西洋思想に大きな影響を残した...というのが本書の主題。

ジョン・キーガン, リチャード・ホームズ, ジョン・ガウ「戦いの世界史」(原書房, 2014) 166bfcb | 31日前

クセノポンのつながりで手に取った。この本の最大の特徴は、戦争にまつわるトピックごとに章を分けて歴史を辿っている点。例えば、「歩兵」というトピックなら、古代ギリシャの重曹歩兵から現代の米軍の機械化された兵士までの2500年間で何が変わって、何が本質的に変わって無いのかを示してくれる。この視点は新鮮で、とても面白く読めた。

・兵站。つい最近まで軍隊は、兵隊を養うための食料の補給経路を持っておらず、必要なものは戦地で"調達"していた。クセノポンの『アナバシス』の中で、ギリシャ傭兵部隊が「食料がなくなったから近くの村を襲おう」と気軽に襲撃しているのはこれ。現地調達がなくなるのは第一次世界大戦ごろのことで、機械化によって前線部隊を支えるだけの補給能力が備わった後のことになる。

・指揮官。古代の指揮官は、積極的に前線に立つことで士気を鼓舞した。例えば、アレキサンドロス大王は、イッソスの戦いで、先頭に立ってダレイオス3世に騎兵攻撃を仕掛けた。著者はこのようなスタイルの指揮を「英雄的リーダーシップ」と表現している。これを読んでいて思ったのだけど、小キュロスがクナクサの戦いで早々に頓死したのは、これがうまくいかなかった例だと思われる。

・戦闘精神。前線の兵士たちが自発的に戦闘を放棄してしまう現象が歴史上何度も観察されている。例えば、第一次世界大戦の西部戦線では、1914年のクリスマスに非公式の休戦が発生した。兵士たちが戦闘を止めたのは「兵隊たちがクリスマスに殺し合うなんて真っ当なことじゃないと感じた」からだったという。こういう停戦が発生する正確なプロセスは不明だが、どうもこれは敵の「兵士としての資質」に対して抱く敬意に応じて起こるらしい (p355)

もう一つ面白かったのは、第二次世界大戦が実質的に生産システム同士の戦いだったという指摘。そもそもナチスドイツの生産能力は最盛期ですら米国はおろかロシアにも及んでおらず、国土には資源も乏しいので、枢軸側の敗戦は論理的な帰結だったと見る向きもあるとのこと。例えば、1942年に米陸軍兵站部のブリオン・B・サマーヴィル少将は次のように語ったという。

> ゆくてに横たわる道は、これから起こるであろう戦闘の塵でかすんでいる。この道がどれほど長いのか、誰も知らない。だが、敵は自らとわれわれの力量を誤断したのであるから、道のりは、可能性としてあり得たよりもずっと短くなっている。ヒトラーが自動車の戦争をはじめたということは、まさしくわれわれの領分で彼は戦争しているということにほかならないからだ。ヒトラーがチャリオットを内燃機関に牽かせたとき、あらたな戦線、われわれが熟知している戦線が開かれた。デトロイトである (p308)

ランディ・オルソン「なぜ科学はストーリーを必要としているのか」(慶應義塾出版会, 2018) 166bfcb | 45日前

クセノポン「アナバシス」(岩波書店, 1993) 166bfcb | 45日前

クセノポンは紀元前4世紀の哲学者で、ソクラテスの弟子だった。これは彼の従軍体験を記録した作品で、今から2500年ぐらい前の話...なのだのだけど、内容自体はむちゃくちゃ読みやすくて、まったく歴史の隔たりを感じさせない。古典だからと気構えなくても、冒険ノンフィクションとして楽しく読めた。

さて、物語の発端は、ペルシア王の弟のキュロスが王位を奪おうと反乱を起こしたことで、この反乱軍にクセノポンをふくむギリシャ人部隊も(半ば騙される形で)加わる。反乱軍は最初は順調に進軍し、難なく現在のイラク/イランの国境あたりまで到達するも、肝心の首魁のキュロスがそこで戦死してしまう。反乱の野望も潰えて、敵地に取り残された兵士たちは、はたして故郷に戻ることができるのだろうか...というのが物語の大筋。

俺がこの本を読んでいて思い出したのは、リチャード・アダムスの名作「ウォーターシップダウンのウサギたち」だった。この物語では、ウサギたちが故郷を追われて、いろいろと仲間と知恵をこらしながら新天地を求めて旅をする。このウサギたちの雰囲気は、ああだこうだ作戦を議論しながら故郷にたどり着こうとするクセノポンたちの姿と重なって見える(ちなみに、クセノポンたちは重要な方針は民主主義的に多数決で決めて進めている。この辺は、さすが古代ギリシャだ)。ただ、この「アナバシス」のウサギたちは、通りかかる集落を略奪しながら進むのであんまりかわいくはないのだけど。。。

2019年02月

中谷宇吉郎「雪」(岩波書店, 1994) 166bfcb | 52日前

雪の研究を描いた大衆科学本の古典。廊下の片隅での雪の研究から始まって、人工雪を作るまでの顛末がまとめられている。個人的に面白かったのは、雪の概論を記した前半の二章だった。

・著者は顕微鏡写真の発展はむしろ雪の研究を阻害したかもしれないと指摘している。というのは、本当の雪の結晶は綺麗な六花型だけではなく種々多様の形をしているのだが、「顕微鏡を覗いて見て、美しくないものは写真にとらない。模様的に美しく、しかも平面的なもののみをとる傾向があるために、一般に人々に、雪の結晶がそういうものだと思い込ませるようになったのである」(p48)

・また、江戸時代に雪の先駆的な研究をした土井利位を例に取ってこう述べている: 「道具や器械が揃っていなければ科学的研究が出来ないと思うことそれが科学的精神に反する道であると知らなければならない」(p54)

かつての人々にとって「科学的な態度で解明すれば多くの問題が解決する」というのは偉大な発見であったにちがいない。その頃から考えると、大分科学は進歩したのだけど、反面で科学のまとっていた「偉大さ」は消え去ってしまったように思える。それはなぜだろう。

河盛好蔵「手紙のことば」(河出書房新社, 1989) 166bfcb | 55日前

祖父に手紙を書く参考になるかなと思って手に取ってみた(祖父がメールを使えなくて耳も遠いため)。手紙に関する大きな解説に加えて、この本には有名人たちの手紙が幾つか収録されている。内村鑑三の内村正子(彼の孫とのこと)にあてた手紙は面白くて、彼の飾り気がなくて暖かい人柄が溢れている。

> まーちゃんは其後変わりない乎、寒からふね、毎日心配しているよ、先日写真を送つて貰っつ食堂の壁に張つて眺めているよ、いくらマー公の名を呼んでも返事をしないからイヤになつて了ふよ、ヂーヂーは相変わらず非常に忙しいよ、講堂の改装も八分通りすんだよ、クリスマスから再び開く積りだよ (...)

だけど最も強い印象に残ったのは円谷幸吉の手紙だった。彼は才能のある運動選手で、1964年のオリンピックで銅メダルをとるほどだったが、まさにその才能によって死んだ。

山本正行「カード決済業務のすべて」(金融財政事情研究会, 2012) 166bfcb | 62日前

バートランド・ラッセル「バートランド・ラッセル著作集11 - 西洋哲学史1」(みすず書房, 1969) 166bfcb | 63日前

この本はとても面白かった。歴史的な事実を交えて、それぞれの哲学の持っている意味を解き明かしてくという本。文体は明瞭で、内容も非常にわかりやすく書かれているので、楽しく読めた。哲学の本でここまで明解に書けるのは本当にすごいと思う。

この本は3巻本の1冊目で、タレスからヘラクレイトス、デモクリトスを経て、ソクラテスとその後継者たちまで収録されている。多くのページはプラトンとアリストテレスの分析にあてられているのだけど、個人的にはソクラテス以前の哲学者の分析が面白かった。彼らの主張は、現代の私たちからすると単なる根拠レスな思いつきにも思えるのだけど、ラッセルは彼らの哲学的な努力を高く評価している:

> これまで考察したすべての哲学者たちは、世界を理解しようとする私欲のない努力をしていたのであり、彼らはそれを理解することが、実際そうであるより容易だと考えていた。しかしそのような楽観的態度がなければ、彼らは努力を始める勇気を持たなかったことであろう (p147)

F. J. ラブリュイエール, R. M. ヘルピ「消費者クレジットの世界史」(金融財政事情研究会, 1997) 166bfcb | 63日前

木村衣有子「手紙手帖」(祥伝社, 2005) 166bfcb | 63日前

E. M. ルイス「クレジット・スコアリング入門」(金融財政事情研究会, 1997) 166bfcb | 70日前

クレジットカードの信用スコアの作り方を解説しためずらしい本。著者はFICOスコアのFair, Isaac and Companyに勤めていた人。

・融資は三つのC (性格 - Character, 能力 - Capacity, 担保 - Collateral) で決まるというのは神話だ。与信決定の際に手元にあるのは一定の形式に従った書類だけなので、そこから借り手の性格や能力を推し量ることは難しい。担保については、個人向けの融資だとそもそも無いことが多い。また、「信用力」という単語はよく使われるが、実は明確に定義するのが難しい。まったく同じ意味で使う人がいないため、多くの混乱が生じており、誰もが「自分は良好な信用力がある」と思っている。

・統計ベースのクレジットスコアリングが発明されたのは、クレジットカードの普及により、大量の信用判断をこなす必要が生じたからだった。かつては人間のアナリストが判断していたが、人によって判断基準がマチマチで、また信用リスクの定量化が不可能だった。しかし、クレジットスコアリングは当初はそれほど熱心に受け入れられなかった。最初に推進したのが、数学のバックグラウンドを持つような科学者タイプの人達で、クレジット分野の人々は統計的手法の有用性を疑っていたからだ。

・クレジットスコアリングの核心は、書類に記載された様々な属性情報から、よい口座/不良口座となるオッズを推し量ることだ。これはよい口座と不良口座を1000-1500件ずつ抽出したものに多変量解析を施すことで推定する。この推定結果は、多くの場合、属性ごとに得点を記したスコアリング表という形で運用されている。

2019年01月

セネカ「人生の短さについて」(光文社, 2017) 166bfcb | 81日前

ポール・ミュオロ, マシュー・パディラ「実録サブプライム危機」(日本評論社, 2009) 166bfcb | 84日前

この本は読んでよかった。2007年のサブプライム危機を扱った本の中でも、住宅ローンを組成していたノンバンクに焦点を当てた本。他の類似の書籍には載っていない興味深い内部事情が描かれている。

・ローンを組成する企業は、ローンを持ち込む営業部と、持ち込まれたローンの品質をチェックする審査部の二つに分かれている。多くの会社では、この二つは全く別々の指揮系統に属していて、紙の上では互いにチェックしあう関係にある。しかし、審査そのものは金を生み出さない業務なので、時として社内政治で営業が審査部に勝ってしまうことがある。そうなった場合の結末は悲惨で、その会社は短期的に凄まじい利益をあげた末に、次の景気サイクルの後退期でものの見事に吹き飛ぶことになる。この審査の劣化によるローンの質の低下こそが、2006年のニューセンチュリー破綻の本質的な原因だった -- これとまったく同じ問題が、10年後の日本の地方銀行のスルガ銀行で完璧に複製されることになる。

・メリルリンチのCDOの質が並外れて低かったのは、メリルがサブプライムローン証券化の分野で出遅れ気味で、CEOオニールの指揮のもとで業容拡大を急いでいたからだ。証券側でローンを検査していた人々に対するプレッシャーは強く、「もっと早くやれ。やらなければ首だ」と圧力を常に受けていた。メリルは特にひどく、劣等なローンでも何とか承認に持っていく方法を見つけ出していた (p278)

・ソロモンで不動産担保証券を創設したルー・ラニエーリは遅くとも2006年の段階で、サブプライムCDOの危険性を把握していた。彼は、持ち込まれてくるローンはARMでFICOスコアが低く、最初の住宅購入で、いくつかの審査がスキップされている等などの点を見て「重層的なリスク」があると考えていた。2006年12月のOTS住宅産業サミットで、この懸念を公に表明している。

・バフェットはカントリーワイドの社長のアンジェラ・モジロと知り合いだった。モジロと会う時は、エンバシースイートホテルを必ず指定していた。バフェットはそのホテルの朝食タダ権を持っていたからだ。モジロはバフェットのリンカーンコンチネンタルに乗せてもらったこともある。「車の中は散らかしてあって汚かった」(p170)

ロバート・J・シラー「バブルの正しい防ぎかた」(日本評論社, 2014) 166bfcb | 92日前

ニック・リーソン「マネートレーダー銀行崩壊」(新潮社, 2000) 166bfcb | 97日前

1994年に破綻したベアリングス銀行の話。そもそもベアリングス銀行のトレーディングルームは管理が杜撰で、しょっちゅう顧客の注文の取り違えや処理ミスを起こしていたらしい。このミスを隠蔽するために、架空のアカウントに誤発注を押し込むことが常態化していた。

問題になるのは、架空アカウントの損を穴埋めするために現金を調達する必要があることで、そこで登場したのが...自己勘定でのオプションの販売だった。将来のリスクを引き受ける事で小銭を稼いでいたわけだけど、結局この取引は雪だるま式に膨れ上がっていった。目先の現金を獲得するために取ったポジションそのものが、損失を出し始めていたからだ。この負のサイクルの中で、リーソンは身動きがとれないままズブズブと沈んでいくことになる。損を補填するために更に多くのオプションを売る必要があったが、それが市場の吸収できる量を越えつつあり、しかもポジションが大きすぎて本国の資金移動制約にも引っかかるようになったからだ。

追記:この事件について調べていると、ニック・リーソンのtwitterアカウントが出てきて、日経相場とビットコインについて語っていた。プロフィールによると「ビジネススピーカー」として活躍しているらしい。シュールなことよ。

ポール・スタイルズ「さよならメリルリンチ」(日経BP社, 1999) 166bfcb | 98日前

政府機関を29歳で退職した著者が、新興国市場の債権営業としてウォール街に飛び込んだ体験を描いた本。著者には金融の知識も経験もまったく無かったが、何とか学生時代のコネを利用してメリルリンチに潜り込むことに成功する。ただ、ちょうど飛び込んだ時期に、新興国市場が崩壊を始めていて...。

フィリップ・リーヴ「ラークライト - 伝説の宇宙海賊」(理論社, 2007) 2556654 | 104日前

「アーサー王、ここに眠る」と同じ作者。「アーサー王」から対象年齢はぐっと下がるのだけど、物語としての完成度は本当に高く、大人が読んでも普通に面白い。どんなに破壊的な事が起きても、人が死んだりしないように配慮されているあたり、ちょっとピクサーの映画作品を思い起こさせるかもしれない(とはいっても、人間以外の、サボテン人間だのクモ星人だのはバンバン死ぬんだけど)

登場するキャラクターはどれも魅力的なのだけど、俺の印象に最も残ったのはトカゲ娘のシリッサだった。海賊船 <ソフロニア号> を操る錬金術師。あまりにこのキャラクターに感情移入しすぎて、最後の全員が集まる大団円のハッピーエンドシーンを読みながら「シリッサには何にもないのか?それじゃあ寂し過ぎるだろう!」と思っていた。

デイヴィッド・エディングス「予言の守護者」(早川書房, 2005) 2556654 | 105日前

2018年12月

フィリップ・リーヴ「アーサー王、ここに眠る」(創元ブックランド, 2009) 2556654 | 111日前

すごく面白い話だった。この物語の中では、アーサーは、盗賊まがいの小集団の首領で、短気で粗暴な男にすぎないのだけど、それを、吟遊詩人のミルディン(マーリン)が、物語を創作することで偉大な「アーサー王」を文字通り創造していく。大きなテーマは、物語に宿る、ときに現実をも変えてしまう根源的な魔力と、それでも、物語によってすべてを好きなように操作できるわけではない、という限界だ。

読んだ後に色々と考えていると、物理学者のファインマンのことを思い出した。子供の時は彼の物語が好きだったのだけど、今思い返すと一抹の逡巡を覚える。本当に、彼はああいう人物だったのだろうか? 実際のところ、俺は知らない。というのは、俺がファインマンについて知っている(と思っている)ことは、彼が自分自身について語ったことに由来しているからだ。

ナンシークレス「ベガーズ・イン・スペイン」(早川書房, 2009) 2556654 | 111日前

2018年11月

ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」(新潮社, 2005) 2556654 | 141日前

強制収容所の一日を描いた作品。たとえ強制収容所の苛烈な環境の中であっても、それが私たちの職能を示す限りにおいて、仕事は人間の魂を救済する。

ヴィクトル・ペレーヴィン「宇宙飛行士オモン・ラー」(群像社, 2010) 2556654 | 141日前

サリー・ガードナー「マザーランドの月」(小学館, 2015) 2556654 | 141日前

1954年の欧州が舞台で、ナチスとソ連を合わせたようなガチガチの監視社会が支配している。主人公たちがいずれ反社会分子として粛清されることは見えていて、主人公たちも十分過ぎるぐらいにそれを自覚しているのだけど、それでも人間らしく生きる(あるいは死ぬ)ことはできる、という物語。傑作だと思う。

アン・レッキー「叛逆航路」(東京創元社, 2015) 2556654 | 141日前

シヴォーン・ダウド「ボグ・チャイルド」(ゴブリン書房, 2011) 2556654 | 141日前

アイルランドを舞台とした青春小説。主人公の兄が(アイルランド独立という理想のために)刑務所でハンストを行う。母はとにかく子供に死んでほしくないと思うが、父は本人の意志を尊重しようとする。どちらが正しい選択なのか?「何もしないで後悔するより、何かをして後悔した方がよい」 (p430-431)

2018年10月

パオロ・バチガルピ「第六ポンプ」(早川書房, 2012) 2556654 | 172日前

ガイ・グリオッタ, ジェフ・リーン「キングズ・オブ・コカイン : コロンビア・メデジン・カルテルの全貌」(草思社, 1992) 2556654 | 172日前

この本の面白い逸話として、南米から麻薬を密輸する中継地点として栄えて、「高品質のコカインが無制限に手に入る」ようになった(ヤク中にとっての天国のような)島が出てくる。それで、どうなったかと言うと、ヤクをやりすぎた売人たちは誇大妄想と猜疑心に蝕まれて、誰もがボディーガードをつけて歩くようになったそうな。

2018年09月

ドン・ウィンズロウ「ザ・カルテル」(KADOKAWA, 2016) 2556654 | 202日前

ピエール・ルメートル「悲しみのイレーヌ」(文藝春秋, 2015) 2556654 | 202日前

リチャード・ブックステーバー「市場リスク 暴落は必然か」(日経BP社, 2008) 2556654 | 202日前

荒木映子「ナイチンゲールの末裔たち : 「看護」から読みなおす第一次世界大戦」(岩波書店, 2014) 2556654 | 202日前

この本で紹介された次の一冊は読んでみたい。著者は看護婦として第一次世界大戦に赴いた人。戦場で心身が無残に崩れ去ってしまった人々を、戦争の引き潮が残した「人間の残骸」と表現している。Ellen LaMotte 'The Backwash of War - The Human Wreckage of the Battlefield as Witnessed' (1916)